アーサーペディア
アーサー王大百科

アーサー

名称の由来

アーサーという名前はおそらく(K・H・ジャクソンはまちがいないとするが)ローマの氏族名であるアルトリウス(Artorius)に由来するのであろう。ただし、J・D・ブルースは、それがケルト起源で、「熊男」を意味するartos vivosから来ている可能性もあると考えている。--ウェールズ語の「アルス・グウィル(arth gwyr)」参照(T・R・ディヴィース)。ブルースはさらに、この名前はアイルランド語のart(石)とも関係があるのではないかという。

生涯

アーサーについての同時代の人間による言及は皆無で、歴史上の人物としての存在は疑問視されている。ミルトン(『英国史』)は想像上の人物と断じたが、ギボン(『ローマ帝国衰亡史』)は伝説の背後には何かもとになるものがあったのではないかと考えた。今日ではギボン説が主流である。アーサーのことを記している最初期の文献はアナイリン(Aneirin)の『ゴドディン(Gododdin)』(紀元6世紀)であるが、アーサーにふれている一行は後の時代の挿入かもしれない。ネンニウス(9世紀初頭)はアーサーの名前を一連の戦いと結びつけてはいるが、自身は「王」ではなく、ブリテン島の部族王たちを助けるためにやってきたと述べている。

アーサーの英雄的な生涯の全体像を著したのは、12世紀のジェフリー・オブ・モンマス(『ブリタニア列王記』)であった。どこまでがジェフリーの創作で、どこまでが伝説からえた素材なのかはよくわからない。ジェフリーの物語によれば、アーサー王ウーゼルの子どもで、数々の戦闘で蛮人どもをうち負かした。後、征服により広大な一大帝国を支配し、最後にはローマ帝国と戦争した。しかし甥のモルドレッドが反旗をひるがえし、女王のグウィネヴィアを人質にしたという報に接して帰国を決意、ブリテン上陸後に、その最後の戦闘がくりひろげられた。

トマス・マロリーが描いたアーサー王物語

このような物語は幾世紀にもわたって醸成されてきたもので、その間にも、ケルトのアーサー王伝説はブルターニュを経由して、大陸各地に伝えられた。15世紀になってマロリーが膨大なアーサー王物語を紡ぎあげたが、これがアーサー王についての標準的は「歴史書」であると考える者も少なくない。では、マロリー版ではどのような物語になっているのであろうか?マーリンの妖術でイグレーヌの夫君の似姿となったウーゼルにより、イグレーヌの腹にアーサーが受胎された。生まれた子どもはエクトールに引き取られ、内密のうちに育てられた。

ウーゼルが亡くなるとイングランド全土を治めることのできる王が不在となる。マーリンは剣を石のなかに突きたて、これを抜く者が王となるだろうと予言した。アーサーが剣を石から抜き取り、マーリンアーサーを戴冠させる。これを不服とした11人の王が反乱を起こすが、アーサーはこれを鎮圧する。アーサーグウィネヴィアを王妃として迎えるが、そのさい岳父は娘に「円卓」を持たせ、アーサーに献納させた。アーサーの騎士たちはこの丸いテーブルのまわりに座ることとなった。丸テーブルであれば席順についての争いが生じることがないのだ。アーサーの統治のもとに世は栄え、アーサーの宮廷には数々の英雄たちが集まってきた。ローマ帝国相手の戦争では、アーサーは皇帝ルシウスを破り、みずから皇位についた。

ランスロットとの確執

ところが、最も傑出した騎士であるランスロットグウィネヴィアを愛してしまい、ふたりの間に愛人の関係が生じることとなった。「聖杯」の探求が行なわれ、ついでランスロットグウィネヴィアの関係が露見してしまった。ランスロットは逃亡し、グウィネヴィアは死刑の判決が下った。ランスロットは王妃を救出し、大陸にあるみずからの領地に連れかえる。その結果アーサーは海峡を渡り、ランスロットと戦端をひらくこととなった。ブリテンの留守は、実の子であるモルドレッドにまかせることとした。(モルドレッドアーサーとその姉にあたるモルゴースの間に生まれた子なので、アーサーにとって甥でもある。モルゴースと交わったとき、アーサーは自分の血筋のことをよく知らなかったのである)。

モルドレッドの謀反

モルドレッドは謀叛をおこし、アーサーは鎮圧するために帰国する。こうして、ソールズベリー平野におけるアーサー最後の戦いにいたるのである。この戦いで、アーサーモルドレッドを殺すが、自分自身も重傷を負ってしまう(ウェールズ版の物語ではこの最後の決闘の場所はカムランとされる)。

アーサーは船に乗せられて、去って行った。最後の言葉は「アヴィリオン(アヴァロン)の谷に行く」というものであった。アーサーは死んではおらず、またいつの日にか再来するという者もいる。しかし、アーサーの墓とされるものが、ヘンリー2世の時代(1154-89)にグラストンベリーで発見されたことになっている。以上がマロリーの語るアーサー像の概要である。

アーサーとモルガン

アーサー王の生涯に関連して最もわかりにくいもののひとつは、アーサー妖姫モルガンとの関係である。マロリーでは姉弟とされているが、ジェフリーの『マーリンの生涯』ではそのような関係は記されていないし、また、両者の敵対関係も触れられていない。つまり、こうしたことは時代が下ってからつけ加えられたもののようである。一説には、恋人同士というのが元来の物語で、後になって姉弟関係がつけ加えられたのだというものもあるが、何の根拠もない。モルガンがアーサーの姉(ジェフリーではアンナ)ともともと同一人物であったのかどうか、確証はないのだ。マリオン・ジマー・ブラッドリーの『アヴァロンの霧(The Mists of Avalon)』(1982)では、モルガンはアーサーの姉であるが、そのことを知らずにアーサーは近親相姦を犯してしまうという話になっている。これならありうる話だ。また、モルガンのアーサーに対する敵意は、アーサーの父ウーゼルがモルガンの父であるゴロア公を殺害したからとするのが、一般的な考え方である(ブアマンの映画『エクスカリバー(Excalibur)』(1981)参照)。

地位・称号の謎

アーサーの地位・称号もいまひとつはっきりしない。通常は「王」と称されるが、時には「皇帝」と呼ばれることもあり、ローズマリー・サトクリフの小説『夕暮れの剣(Sword at Sunset)』(1963)では、ブリテンを滅びつつあった西ローマ帝国の最後の末裔に仕立てあげる人物として描かれている。これも実際にありえないことではない。ネンニウスはアーサーのことを「王」ではなく、「dux bellorum」(戦の指導者)と呼んでいるが、このことから推測するに、アーサーは「Dux Brittaniarum」(ブリテン人の指導者)といったような、ローマ帝国側の称号をもっていたのではなかろうか。称号の問題以外にも、アーサーがどこで活動したのかという疑問がある。イギリスの北部、南西部、ウェールズ、あるいはイギリス全土などさまざまの意見があるが、確実なことは何も言えないのである。

図説アーサー王伝説事典

索引

協力

  • 原書房
  • 東京大学大学院
    総合文化研究科 教授
    山本史郎