アーサーペディア
アーサー王大百科

カムラン

最後の戦場

アーサーの最後の戦いが行われた場所。マロリーでは、この戦いのあとまで生き残ったのは、アーサー、べディヴィエール、ルカンの3人だけだとする(ただしルカンはすぐに死んでしまう)。アーサーは重症(たぶん致命傷)を負う。

キルフウフ』ではこのほかに何人か生き残ったことになっている。あまりに美しいので天使とまちがえられたサンダヴ、あまりに酷いのでみんな悪魔だと思ったモルヴランなどがそうである。『キルフウフ』にはまた、この戦いを仕組んだのは9人の人々で、そのなかにはコーンウォールとデヴォンの執事であったグウィン・ヒヴァール(Gwynn Hyvar)も含まれていたと書かれている。このほか、聖デルフェル、聖ペトロックも生き残ったとされる。ウェールズの伝説には、生き残った7人の話が出てくる。

開戦日時・場所について

この戦いはいつ行われたのか、諸説紛々である。『カンブリア年代記』は、バドンの戦いの21年後に起きたとしているので、紀元515年、520年、539年のいずれかぐらいということになる。ジェフリーは542年とする。アイルランドの『ティゲルナハ年代記(Annals of Tigernach)』は542年、スペインの『トレダノス年代記(Anales Toledanos)』はずっと後の580年説を唱えている。

ではどこで起きたのだろうか?マロリーはソールズベリー平原説に傾いている。コーンウォールのカメル川にかかる「虐殺橋(スローター・ブリッジ)」だとするのが伝統的な考え方であるが、ブラケットとウィルソンはウェールズのカムランだとする。『ディド・ペルスヴァル』ではアイルランドに設定されている。

参照

オドブリクト」「トレガレン

図説アーサー王伝説事典

索引

協力

  • 原書房
  • 東京大学大学院
    総合文化研究科 教授
    山本史郎